名も無い歌


「ありがとう」 
「ごめん」 
音楽の好きな君は、閑寂な世界に消えていった。 


〈Silent-Alone-World〉 


イヤモニを着けて、マイクに息を吹き込む。相方をちらと見やると、向こうもこちらを見て笑った。 
柔らかい笑みに柔らかい歌声。丁度良いテノールは俺も好きだ。 
「どうしたの?」 
「ううん、何でもない。じゃあ始めようか。」 
バックの楽器隊が奏でるメロディーに、歌声を乗せる。彼がメイン、俺が上ハモ。時に俺がメイン、彼が下ハモ。 
〈独りの暗闇で 泣いていた僕を君は 光で包んでは 連れ出してくれてたんだ〉 
本当はこの歌が嫌いだ。彼はよく経験を描く。それは一部かもしれないし、全部かもしれないが。これはきっと俺たちの歌だと思った。 
彼は気付いていたんだ、と。 
それは丁度、最後の前の春ツアーのことだった。 


アザミはふっと笑った。 
「ねえ、おれたちでデュエットやらない?」 
数年前、彼はそう言った。五年来の付き合いで、初めてこんなこと言われた。 
「本当?ありがとう。」 
「ありがとうって、こっちの台詞だよ。」 
柔らかい声が耳に残る。 
「曲とかはどうすんの?」 
「任せてよ、おれの知り合いがバックで弾いてくれるし、曲も作ってくれる。詞はおれが書くし。マツリもさ、歌詞書けばいい。」 
「俺じゃアザミに勝てないよ。」 
そんなことないよ、困ったように言う。 
それから、俺たちは歌い始めた。小さな箱で細々と、そして徐々に本数を増やしていった。東名阪のワンマンをやるまで二年かかった。全国ツアーを組む頃には、それなりにファンも居た。 
ツンデレで妙なノリの俺と、紳士で笑かし屋の彼。似てるようで似ていない俺たちは程良く一緒に居た。 
それなのに気づかなかったのは、完全に俺の所為だ。無理してるなんて見抜けなかった。それ程アザミのこと、見ていなかったんだろう。 
楽器隊はおろか、親しいという業界仲間の一部すら知っていたというのに。 


四年前の10月、国立代々木競技場第一体育館。俺たちは初めて憧れのホール級の会場に立った。 
「おはようございまーす。」 
「おはようございます。」 
ゲネプロ特有のぴりぴりした空気に、「ああ俺たちはここに来たんだ」と実感する。 
アザミと俺は別の声出し部屋でウォーミングアップをする。リハでやる曲を念入りにチェックする。楽屋に戻れば、彼はギターを弾いていた。 
「また上手くなったな。」 
「そうか?」 
くすっと笑ってアザミは弾くのをやめてしまう。ちょっと引き止めたかったのは内緒だ。 
「リハーサル五分前です。」 
「よし行くか。」 
数曲をピックアップした上でのリハは、大きな問題もなくゲネプロに入る。メイクをして衣装に着替えてステージに立つ。本番さながらの空気に、観客が見えてきそうだ。1ブロック(=MCまでの区切り)ずつ、MCは飛ばしていく。俺たちや楽器隊(ドラム除く)は花道を駆け回る。 
一通り終わった後の疲れと汗はハンパなかった。 
そして次の日の本番、正直興奮して眠れなかった。アザミに電話すると、「おれも」と笑って言った。 
「やっと来てやったぞー!」 
ステージ上でライトを浴びながらアザミが叫ぶ。ピンスポではないものの、照明はかなり熱い。ありがたいことにソールドアウトした席は見事と言うべき景色だった。 
「気持ち良いなあ。」 
拳を振りかざして応えるオーディエンス。MCもそこそこに、2ブロック、3ブロックとこなしていった。本編終わりで捌けた後、アザミがこめかみを押さえて顔を歪めていた。 
「どうした、アザミ!?」 
「んーん、何でもない。ちょっと音酔いしちゃったみたい。」 
その時俺俺は彼の言葉を信じて、あまり気に止めなかった。 
「無理すんなよ。」 
「ありがとう。」 
アンコールの時ね彼は楽しそうで、やっぱり何でもないんだと思った。 
「最後の曲です、聴いてください――」 
シンセとアコギで始まるこの曲は、数少ないアザミ作曲、俺が作詞した曲だ。あまり上手くないが、彼のように情景が浮かぶように書いた。バラードのこの曲は、実は俺たちの友情も込められている。 
〈二人でいたら 強くなれる気がした〉なんて、まさに。 
「「ありがとうございました!」」 
二人で手を繋いで頭を下げれば、客席からは大きくて温かい拍手。 


次の年の8月、俺はとんでもない真実を知ることになる。 
「嘘、だよな?」 
「いや、残念ながら。」 
何でだよ、何でまだ夢の途中なアザミが、夢を諦めなきゃいけないんだよ。俺は拳を握り締めた。彼のその手も少し震えている。 
「いつ聞こえなくなるとか分かるのか?」 
「もって半年ってとこらしい。だから12月に、ラストライブがしたい。」 
「どこ、で……?」 
アザミの目は真っ直ぐ俺を見ていて、決心は揺るがないように思えた。俺は嫌なのに、ラストライブなんてしたくない。俺のパートナーはアザミしかいない。他の奴とは一緒に歌えない。それなのに彼はやめるというのか。 
「東京ドーム……なんて無茶言わない。さいたまスーパーアリーナでも横浜アリーナでも良いけど、それも難しいだろう。だから、日本武道館で良い、そこでやりたい。」 
「武道館、か。俺は一緒にドーム行きたかった。」 
「うんおれも。」 
今にも泣きそうな珍しい笑顔で言う彼に抱きつく。 
「あんま追い込むなよ。」 
「サンキュ。」 
そう応えた後に、「本当にありがとう」なんて頭を下げられて俺は、なんとも言えない気分になった。 

公式HPに出された情報。「12月11日 Last Live 2008 at 日本武道館」、そして、アザミの病気のこと……。 
俺たちのところに何通ものファンレターが来た。そのどれも「アザミさんは大丈夫ですか?」の文字。一つ一つに返事するわけにもいかず、「大丈夫だ」とブログでコメントしておいた。 
ラストライブに向けてのスタジオ練もリハも念入りに行われる。 
「最後の曲は、お前がメインを歌ってくれ。おれはギターと上ハモやるから。」 
「?分かった。」 
アザミの願い。最後の曲はその日のために彼が書き下ろしたものだ。だからてっきり彼がメインかと思ったのだが。 
〈名も無い日々を重ね続けて どれだけ夢に焦がれればいい?〉この曲の歌詞はどこか心にガツンとくる。出来れば、この歌を歌う時が来なければいいのに。 
「そんな沈んだ顔すんなって。」 
「ごめんごめん。……頑張ろうな。」 
「うん。」 
こつんと拳をぶつける。最後の日まであと、       日。



2008年、12月11日、九段下の日本武道館。入り後のムードは至って去年と同じようにまずまずの緊張を纏っている。スタッフさんは忙しなく働き、楽器隊はチューニングや音出し、アザミは音響の最終確認と声出し、俺はステージ上の最終確認と声出し。 
「今回のラストライブ、よろしくお願いします。」 
スタッフの一人の掛け声に、居る人全員で返事する。最後のリハだ。 
「じゃあ1ブロックの出だしの入り方、お願いします。」 
オープニングSEから始まり、入りを確認するとすぐさま別の曲へ。何曲かやったあと、俺は切り出した。 
「最後の曲、いいですか?」 
あまり練習するの嫌だなー、と言っていたアザミの意思に反するが、失敗出来ない曲だ。心配があった。 
アザミの奏でるアコギ一本の音が、会場に広がる。それにエレキやベース、ドラム、シンセの音が重なった時、不覚にも泣きそうになった。 
(これじゃあ、お客さんがいる本番じゃ号泣かな。) 
皆の音に俺の声を乗せる。これなら大丈夫だと、直感的に判断する。 
「本番かと思った!」 
終わった後のマネージャーの第一声がこれ。それだけ心が籠もっていたんだろう。なんせ拍手までされるくらいだから。 
休憩に入り、アザミと二人で外を見ようとした。物販のための長蛇の列は、本当に蛇のように門の外まで伸びている。 
「今17時だから、あと1時間だ。」 
「上がってきた、」 
「テンションが。」 
その場でぴょんぴょん跳ねるのは俺たちの癖だ。(彼は俺に影響されたのがきっかけだが。)緊張したりテンションが上がると跳ねたくなる。 
その時ライターさんが来た。 
「また跳んでますね。」 
「書きます?」 
「勿論。」 
彼はFCの会報のライターだ。他にもDVD用のカメラマンやら、雑誌のライターやらが来ている。 
「上がってきた?今日のコンディションはどう?」 
「かなり良いです。そわそわしてあんまり眠れなかったんですけど、耳も全く支障無いんで。」 
「俺も良いです。眠れないってまたアザミに電話しちゃいましたよ。」 
メイクを終えて衣装を着た俺たちを、楽屋の中ではDVD用のカメラで撮っている。 
「今日の格好見て見て!」とアザミがくるりと回る。周りのスタッフさんはその無邪気さに笑う。あんなん、無理してんのバレバレなのに。 
「この長ーいスカーフが尻尾みたいにフワフワして可愛いんですよ。」 
サルエルの所為か、ポップな格好だ。しかし背の高いアザミはサルエルでも足が長く見える。 
「ねえ、何で俺はショートパンツなの?がっつりインディーズのヴィジュアル系じゃん。」 
「「初心に戻るため!」」 
スタッフとアザミが口を揃えて言う。 
「確かに昔はこんな格好してたけど……今になって。」 
「似合ってるから大丈夫。」 
笑いながら言われても凹むだけなんだよね。アットホームなこの空間も、最後だと思うて寂しかった。 
「開演五分前でーす。」 
袖に皆で集まると、円陣を組む。 
「ラスト成功させるぞ!」 
「「おう!」」 
ハイタッチでドラムからステージに上がる。俺たちは二人同時だ。オープニングSEが盛り上がりを見せる時、袖から出ていく。ファンの歓声が一際大きくなった。 
パッとSEと照明が落ち、一曲目が始まる。一曲目は落ち着いた曲、二曲目は弾けるポップ。見える範囲のファンは楽しそうな表情でノッていた。 
「元気だったか?会いたかったか?」 
イエーイ!と会場は盛り上がる。 
「記憶に焼き付けて帰れよ!」 
それは俺たちも同じ。俺もこの景色を忘れないように、一曲一曲を歌い上げた。 
「ラストいけるかー?」 
本編ラストはエール系の歌。夢についての曲、〈きっと気付いたんだ 予感がほら くすぶってて  今 悩んでおけば これからは大丈夫だって〉アザミの精一杯の強がり。改めて聞けば重く感じる。これからは大丈夫、それは誰に言い聞かせているの? 
「ありがとう!」 
そう叫んでから捌ける。汗を拭き、メイク直しをする。 
「本編ラストだけで泣けるな。」 
隣にいるアザミに声をかける。 
「ラストは号泣か、マツリ?」 
「かもな。」 
大勢のアンコールの中、再び登場する。アンコールは全5曲、シークレットのWアンコが1曲。 
「沢山のアンコールありがとう。これからアンコールもついて行けるか!」 
会場のボルテージは最高、俺とアザミはイントロが鳴ると同時に弾かれたように花道を駆けた。 
瞬く間に過ぎる時間。最後の足掻きのアンコールも終わりに近づく。とうとう最後のMCになってしまった。真ん中に二人で立つ。客席は静まり返り、じっと俺たちの言葉を待っていた。 
「今日はありがとう。ちゃんとやれたね。最高のライブでした。本当はもっと高くて遠いところに連れて行ってあげたかった。東京ドームとかでやりたかった。でも、もうそれも出来ません。」 
啜り泣く人、耐え堪えてこちらを見る人がいる。 
「おれの病気の所為で、皆の夢や楽しみを潰してしまうことはとても心苦しいです。おれももっと皆と一緒に歌っていたかった。それでもここまで来れたのはバッグで弾いてくれている三人と、おれの大切なパートナーのマツリのおかげです!」 
わって湧くような拍手に、思わず涙が滲んだ。 
「そして、支えてくれたファンのおかげです。」 
大人しめな拍手に、同じように涙が滲んだアザミが口を噤む。 
一息置いて、決心したかのように最後言葉を口にした。 
「聴いて下さい、――。」 
歌い上げると、薄い緞帳が下りてくる。告知のためだ。ベストアルバム、ライブDVDの発売。 
そして、俺たちの意思。 
『ライブは最後だけれど、出来なくなるまでやり続けます。最後まで応援よろしくお願いします。だから……』 
「――お前ら黙ってついて来い!」 
俺が叫ぶのを合図に、幕が上がって曲が始まる。アザミの弾くギターの音に会場は一瞬ざわつくが、直ぐに必死で聴く体勢になる。ライブ最後の曲がやってきてしまった。 
会場の一体感と皆の気持ちに息を飲む。 
シンセ、ドラム、ベース、エレキが重なり、後ろのスクリーンは花や月などの景色を見せる。名の無い歌だが、入れ込んだ気持ちは他の曲より大きい。新曲だから、とスクリーンに歌詞も浮かべばそれを見て泣く人が多くなった。 
アザミの思いを受け取って下さい。 
最後のロングトーンを、アコギが優しく支える。数音のアルペジオとコードを弾いて、曲とラストライブは終わりを告げた。 
「本当に今までありがとうございました。この曲は名の無い歌です。この日のために書きました。この曲には敢えて名前は付けません。」 
しんと静まっている会場に、アザミの声が響く。動くことすら憚れるくらいの静けさだ。 
「皆さんと共におれが、おれたちが居たという証拠にして下さい。」 
ハイ、という声が聞こえる。そこでアザミはくるっ、とこちらを見た。 
「マツリ、今までありがとうな。お前とやれて楽しかった。」 
近づいてきてハグされる。俺も抱き締め返した。 
「俺こそありがとう。」 
それから楽器隊、俺たちで手を繋ぐ。 
「3、2、1……ジャンプ!」 
イエーイ!と会場の皆でジャンプし、ライブは幕を下ろした。 


その後も、俺たちは活動を続けた。シングルだけでなく、アルバムも出せた。 
だけどやっぱり、終わりは避けられなかった。 
アザミはラストライブの半年後に、聴力をほとんど失った。腫瘍の摘出手術は成功したが、聴力が治る見込みはもうないらしい。だけど彼は、健気にも気丈に振る舞っている。だから俺はあることを決意した。 
俺や楽器隊は、アザミが歌えなくなった時点で解散しようと思っていた。けど、俺は皆を集めて言った。 
「アザミは居ないけど、あいつのために俺たちだけでバンド活動続けないか。」 
「俺たちもそれ考えてた。やろう。」 
彼らがそう言ってくれたおかげで、俺たちはこのままやり続けることになった。アザミを、聞こえなくてもライブに呼んだ。ステージパフォーマンスだけでも感動させ、楽しませたかった。その度「大きくなったね」って言ってくれる。 
俺の歌声、聞いて欲しかったな。またギター弾いて欲しかったな。聞こえなくても、ここまで来た俺たちを見ていて欲しいと思った。 
夢の東京ドームで、俺は思い切り叫んだ。隣に立っている、彼に。 
「おいアザミ、見えてるか?この景色綺麗だろ、やっと俺たち来たんだぜ?」 
「見えてるよマツリ。ありがとう。」 
久々に聞いた声は相も変わらず柔らかくて優しくて、そして嬉しそうな表情は酷く目に焼き付いて離れなかった。 

今、アザミはギターを背負って次の舞台(ステージ)へ、俺たちと共に。 


Fin. 

 

手を伸ばした夢から 徐々に遠くなってく 
余計な情を抱えて 今じゃそれが重荷で 

言葉は 空を舞った 

名も無い日々を重ね続けて どれだけ夢に焦がれればいい? 
気休めの台詞でも良いと思う 君にかかれば、魔法 


冬の匂いが導く 白く染まったあの場所 
振り返っても今更 景色は見れないんだ 

今から どこに行こうか 

名も無い日々に問いを重ねた どうして僕は立ち止まってる? 
声上げ酷く歌い上げるなら 終わりはないのかも 


ここからがきっと 君のスタート 
僕は歌うから 遠くへ行こう 


名も無い日々を飾り続けて どこかで君を見つけられるか? 
合図はこの歌 口ずさんで欲しい そうすればね…… 

名も無い日々を重ね続けて どれだけ夢に焦がれればいい? 
気休めの台詞でも良いと思う 君にかかれば、魔法 

 

   作詞:アザミ

 

 

 

※『名も無い歌』作詞:佐伯 彩瑠

※細かいところは不正確です、ご了承下さい。

※最後、ドームでアザミはテロップを見ていました。

※聞こえなくても、振動で音が分かります。