秋とコーヒーゼリー、又の名を「別れ」

そういえば彼は甘いものが嫌いって言ってたっけ。肌寒い空の下で私は歩く。
最後の晩餐に相応しいわね、苦い苦いコーヒーゼリー。右手のコンビニの袋には、二人分のそれ。
本当は至る所が嘘にまみれてるって知ってる。首筋の嘘も、好みの嘘も、愛してるの言葉の嘘も、全部知ってるわ。
それでも私は彼に踊らされ続けるの。それでも良いと思ってるから。でも違うのね、やっぱり辛い。

「いらっしゃい。」他人の女の匂いが微かに残った部屋で、彼は優しく手招きする。でもそれも最後よ。
「久しぶり。」何もないかのように笑って、いつものようにソファに腰掛ける。彼は気が利く人だから、そっとマグカップをローテーブルに置いた。
「ありがとう。」
「外は肌寒かったでしょ?」柔らかく髪を撫でるその細い指にときめかないように、心を落ち着かせて飲んだ。ちょっとだけ甘いコーヒー。心や体がほんわりと温まった。
「美味しい。」そうやって私(や他の人)に優しくするから。皆騙されて離れられなくなるのよ。分かっててやるんだから、質が悪い。
「良かった。」
「あ、後でこれ食べよう?」私はビニール袋を掲げた。中身を瞬時に把握した彼は、「じゃあ冷蔵庫入れておくよ」とそれを持っていった。
私は大人しくコーヒーを口にした。テレビをぼーっと眺める。きっと彼は気付いているんだわ。私が別れを切り出すことを。意地悪く待っている。
(ほんと、最後まで意地悪なのか優しいのか。)
「模様替え、したんだね。」彼は狡いから、私に分かるようにそれをしている。白い花は、まるで身の潔白を証明したいかのよう。
(……嘘つき。)
「うん、配置替えして花を置いただけだけどね。」
「枯らさないでよ?」
「大丈夫。」クスクスと笑い、花弁に指を掛ける。外の寒々しい木々と違って、それは太陽の光を柔らかに吸い込んでいた。
そしてそれを見て彼が微笑んでいる相手は私じゃない。

いつ切り出そうか。斜陽が部屋を照らす中、私たちは何も言わずに隣に居た。
心地良い空間にこの気持ちを有耶無耶にされそうになる。触れるか触れないか、でもほんのり相手の温かさが伝わる距離。いつもの距離。
それも今日で終わりだって考えたら、泣きそうになって目を伏せた。
「コーヒーゼリー食べようか。」ああ、それが合図なのね。私と彼が終わる合図。それを食べたら、私は別れを切り出そう。
「そうだね。」
「待ってて、用意してくる。」冷蔵庫からコーヒーゼリーを出して、買ったとき付けてもらったプラスチックのスプーンを置くだけなのに、大層なものを食べる気分だわ。
パクリと口に入れれば、甘さと苦さが両方広がる。
「美味しい。」
そう先に零したのは果たしてどっちだったかしら?きっと彼よ、私にはそんな余裕無かったもの。
「ねぇ?」
「ん?」
「もうお仕舞いにしようか。」やっぱりね、少しだけ困った笑顔を浮かべ、分かってましたというように肯いた。
本当は否定して欲しかったなんて知らないでしょ?知らなくて良いのだけど。私から切り出させるなんて酷な人。悲しそうな顔を偽らないでよ。優しいフリなんて非道いわ。
私の要らないもの、置いていくわね。殆ど使わなかった合鍵。この部屋には私の物は無いから、何も持って帰らないけど。
「ありがとうね。」
「こっちこそありがとう。」
最後に一つだけお願い聞いて欲しいの。
「何?」優しく顔で続きを促す。私は一度息を吸い込んで、"お願い"を伝えた。

「最後にキス、して。」

自分で言って、最後の響きに一粒だけ涙流したけどそれだけでやめる。泣きたくないわ、彼の前じゃ。
「分かった。」そう言って口付けたとき、苦いコーヒーの味がした。最後のキスは、色の無い秋の乾風の味だった。