転校生のモノクロなモノローグ

私は、あの笑顔が嫌いだと思った。 


初めてあの人と出会ったとき、あの人は凄く輝かしく見えた。誰からも好かれ、そして尊敬されている、そんな風に見えた。 
しかし「椎名くん。」女の子たちが甘い声でその名を呼ぶことに吐き気もした。下心丸見えのその声を、あの人は笑って流した。 
正直凄いと思うのと同時に、怖いと思った。嫌いだった。 
皆に同じように返す笑顔。寸分の狂いもない、造られた微笑み。何を考えているか分からないような胡散臭い笑み。そして、不自然なくらい紳士的な優しさが。ポーカーフェイスはいつも上手くて。 
女の子たちはいつも熱っぽい視線を送り、目立とうとしてきた。けれどあの余裕の笑みで制してしまう。優しいけど、とても冷酷な人。 
もしかしてアンドロイドじゃないかと疑ったときもあった。私はその嘘臭い優しさには騙されないぞと思った。 
だけど、出来なかった。 

傍に居るようになればなるだけ、自分が惹かれていくのが分かった。それに、離れれば心配掛けて、輪をかけて優しくなる。こんなの板挟み状態だ。 
軽く逃げ道を作れば、またそんな綺麗な悲しそうな顔。それでも私はこっちの人が好きというフリをした。そうじゃないと、心がもたなかったから。 
私は新垣くんに相談をしていた。そして逃げ道になってもらっていた。そうするとね、あの人は表面上悲しそうにするし、嫉妬もしてくれる。そんなことしたら自惚れるだけなのに。 
私はちょっとだけ、愛されてるのかなと思った。本当は告白する勇気も、傍に居る勇気も無かったのだけれど。 

そのうち段々辛くなっていった。学校で目が合って微笑まれると、胸が押し潰されたような。苦しくなって逃げ出したくなる。 
「心臓が痛いんです。」とこの気持ちを偽って無視して保健室へ逃げた。何も救われなかったけど、意味も無くそこにいた。 
一度だけ私は、「優しすぎて嫌いだ」と言った。「そっか。」その孤独な呟きは、哀愁を纏って私たちの間に落ちた。その後の「ごめん」が、何故だか私を苦しめた。 
私にはこの気持ちに蓋をするしか、残された道は無かった。 


ある日、あの人は気付けば教室に居なかった。私は気になったから、保健室に行くフリをして生徒会室に寄ってみた。そこに居るというのは確信に近い予感だけど。 
ドアをそっと開けると、確信した通りに居た。でも空気が違った。いつも纏う冷静で余裕があって大人な空気じゃない、ある意味取り乱したような。 
あの人は私に気付かずにカレンダーを見ていた。一心不乱に、食い入るように見つめていた。「   。」ぼそりと呟かれた声はこちらまで届かずに消える。だけどその声は丁度、恋人を呼ぶような甘さを含んでいた。 
盗み見た横顔に、一筋の涙が伝ったのがはっきりと見えた。不謹慎だけど、美しいと思った。はらはらと垂れた黒髪が横顔を隠してしまう。私はもっとその姿を見たくて近寄った。 
「   。」再び呟かれた声。それは名前で。知らない人だけれど、やはり味わうように呟かれていた。 
「椎名くん。」そう呼べば、はっと顔を上げる。気まずそうに笑ってから涙を拭く。 
人前では強がる彼が、今は儚く見えて抱き締めた。人間らしいところだってあるんだと、私は酷く安心していた。 
「ありがとう。」と言われたのと同時に強く抱き締められた。「もう少しだけ、」余裕なんかないですとでも言いたげな口調に、もどかしさを覚えた。 

その時告白していたら、何か変わっただろうか。私の人生はおろか、あの人の人生まで変えてしまっていたかもしれない。それならばどちらの方が良かった、なんて今更言えたことじゃない。 
けどあの人も私も、交わらない道を選んでしまった。だからもう良いんだ。 
でもやっぱりそんな優しい声で、私の名前を呼ばないで。もっと好きになって、また自分を抑えられなくなったら今度はそうは出来ないから。 


あの日はある人の命日なのだと聞いた。二年前に事故死で亡くなったらしい。 
「大切な人を守ったんだって。俺の大好きな人だからさ、俺も分かるんだ、あの人の気持ち。俺も大切な人守るために身を投げ出しそうだしね。」そうあの人は笑って言っていた。傷付いていたのは、あの人の方だったのか。 
「憧れてたの、死に方までね。」目を伏せたあの人の腕を必死で掴んだ。今にもその人に、天国(あっち)だかに連れていかれそうで。 
「貴方はそんなことしなくていい。きっと、守られた方も辛いから。」そんなことされたら、私なら幻想でしか生きられなくなる。あの人の居る幻想でしか。 
「それは分かってるよ、その人の大切な人とも友達だから。でもきっとね、身体が勝手に動く。」そう言ってあの人は優しい手つきで私の頭を撫でた。その手の温もりが、生きているんだと思わせた。 


私は暫くして、桐山くんに「思わせぶりが辛いのだ」と言った。あの日の事は言わなかったが、桐山くんもあの人に似た手つきで頭を撫でた。 
「そうだね。きっとあいつはそれで自分と君を守ってるんだ。」優しい口調だった。私には分からなかった。あの人自身はまだしも、どうして私までも守るのか。 
「自ずと分かってくるよ、あいつと一緒に居れば。って言って、知ってるの俺だけなんだけど。」くすくすと笑った桐山くんは、頑張ってと口にした。 


何度嫌いになろうとしても、頭から離れない。でも偽善的な笑顔を浮かべるあの人のことなんて、大嫌いだ。