名も無き旅人、名も無き唄
宛てもない旅を行く、
ただ果てしない空の下を。
 
 
 
一歩一歩、踏みしめるように進む。
飛び去るような景色に、旅人は目を細めた。
見つからない未来を探すより、傍に寄り添う過去の方が良いのだろうか?
一歩一歩、踏み出すたびに問いを繰り返す。例えそれが愚問だとしても。
人は時々彼に尋ねた。
 
「貴方がいつも歌っているのは何故ですか?」
「何を歌っているのですか?」
 
彼は必ず笑って答える。
 
それは、諦めないための唄です。私と同じように、名など無いのですけれど。
 
その唄を聞けば、知らず知らずのうちに人は明るくなれるのだという。
空高く、澄み切った情景を切り裂くように鋭く、けれど柔らかく。そして優しく、時に厳しく。明るく、若しくは暗く。
人によって違うのだそうだ。
 
 
ある時、旅人は歩幅を緩めた。相も変わらず動き続ける景色と時間を横目に。
ほ、と溜め息をつく。すっかり足を止めてしまう。
薄汚れたコートから、砂時計取り出す。くるりとひっくり返せば、ピンクの砂が零れ始めた。
砂の流れに合わせてゆっくりと言葉に節をつけて乗せていく。
旅人の横を絶えず人は通り過ぎていった。旅人のことなど見えていないかのような反応で。
旅人は青い空を見上げた。同化してしまうような表情を浮かべる。
ただ、口ずさむ唄だけは止めずに。
 
「この唄は何処から聞こえて、何処へ消えていくのだろうか。」
 
人々は見えぬ姿から聞こえる唄に耳を傾けた。
旅人はただ笑っている。己の声は聞こえないと知っているから、ただ笑っていた。
 
「この唄、懐かしいですね。昔も同じように聞いたことがあります。」
 
傍をすれ違った青年は、そう言って連れに笑った。連れもまた、微笑んで頷いた。
 
「昔旅したときに私も聞いたよ。」
 
それでも人々は旅人には気付かない。記憶や思い出はあるのにも関わらず、彼の存在には全く触れないのだ。
 
「きっとまた何処かで歌っているんだろうなあ、」
 
砂時計は刻一刻と終わりを示していく。旅人は立ち上がって、また歩きだした。
そして、再び人々と数少ない会話を交わしながら、長い長い果てなき道を進んでいくのだ。
 
 
名も無き旅人と名も無き唄が残した、懐かしき記憶。遠く昔から世界に響く唄は、きっと貴方の心の奥底にも眠っているだろう。
よく耳を澄ませば、何かが目覚める音がするはずだ。その時に振り返れば、優しく微笑んで歌う旅人が見えるかもしれない。
 
 
 
どこまでも続く空は、何処にいても同じだから、
例え、姿や気持ちが変わったとしても、旅人だけは変わらずに傍に。